焦る必要はありません

いつも思うことがあります。一体、私たち人間が生きていく上で、自分にコントロール出来ることってどれくらいあるのかな?って。昔、私が若い頃は、人生はすべてコントロール出来るものだと思っていました。自分の一挙一動すべてが、自分の思い描いた通りになると信じて疑わなかったのです。努力をすれば報われるし、サボればそれに見合った結果になると思っていました。

しかし、現実には必ずしもそうとは言えません。努力をするだけで成功するわけではありませんし、要領の良い人は苦労せずに結果を勝ち取ることがあります。必ずしも正しい行いをしている人間が幸福になるとは限らず、むしろ悪人ほど幸せに生き長らえることさえあります。そこで人は自分の運を呪います。これだけ勉強してきたのに何故英語力が身に付かないのか!とか、こんなに苦労しているのになぜ報われないのか!と。あるいは、あいつはトントン拍子に英語力を身につけて出世するのに、俺はいつまで経ってもカタコトの英語しか話せないから昇進も危うい、とか。

実は、そこに根本的な「考え方」の間違いがあるのです。実を言うと、私たちの人生に起こることはすべて「たった1回」しかありません。つまり、起こったことがすべてなんですね。想像の上では、他にも色々なバリエーションの現実が起こりそうな気がするのですが、実際には「起こったこと以外のことは起こりえない」んです。だから、幸も不幸もそこにはなく、ただ単に「起こったことはすべて良かった(正しかった)」という事実しかないのです。そこで自分が不幸に思えるのは、自分が「実際に起こった現実」よりも何かもっと良い現実が起こり得たのではないかと「勝手に妄想するから」なんですね。

「今日は暑いな、汗かいちゃって、こんな日に外回りの営業なんてツイていないなぁ」と感じる人は、おそらく今日が「涼しくて汗なんてかかずに仕事が出来た日」であった可能性があることを前提として、その妄想と比較して「今日が暑くてツイていない」を嘆いているわけですね。もしくは、「他の職に就いていれば、こんな辛い思いをしていなかったかもしれない」と勝手に比較対象を妄想しているわけです。しかし、実際には「涼しかった今日」なんて存在し得ないんです。「他の職についていた自分」なんて存在し得ないんです。なぜなら、この世では二つのことが起こり得ることはないから、です。必ず一つのことしか起きないように出来ているわけです。だから、そもそも相対的評価として比較対象するものがないのですが、それにも関わらず、人間は非常に感覚的・直感的に「自分はツイていない」という判断を下します。

実はこれ、英語の学習にも当てはまることなんですよ。英語の勉強がスケジュール通りに進まなかったといって嘆き、意気消沈する人がいます。その場合は、「英語の勉強がスケジュール通りにスムース進んでいる」という、実際にはあり得なかった理想の現実を頭の中に思い浮かべ、それと実際の現実(ここではスケジュール通りに行かなかった自分の英語の勉強)をわざわざ比較し、自分の意志の弱さや不運を呪うのです。

しかし、実はこれってとってもアホらしいことなんですよね。何度も言いますが、この世に起こることは何事でも1回限りなんです。そして、起こったこと以外のことは決して起こりません。これは化学反応式のようなものであり、それ以外のことは決して起こらないんです(仮にそれが「起こった」とすれば、物理法則上、この宇宙全体が崩壊してしまいます)。

つまり、自分にコントロール出来ることなんて、この世にはあり得ないんです。すべて、川の水が上流から下流へ流れるように、途中に岩があればそれを避けて流れるように、瞬間瞬間の物理法則が働いて、まさに化学反応のごとく、たった一つの結果に結びついていくだけなんですね。

だって、この世に生まれてくることさえコントロール出来なかった自分に、その後の何がコントロール出来ると思いますか?努力することも、サボることも、すべて自分にはコントロール出来ないんです。とは言え、「じゃ、努力しても無駄なら遠慮なくサボろう!」と息巻いても、きっとあなたはサボることは出来ません。その逆にしても然り。だから、let it beなんです。で、随分と回りくどい話になってしまいましたが、今日私が言いたかったことは…

「だから焦るなよ」という一言だけです^^




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